「鶉野飛行場」は昭和18年10月、兵庫県加西市(当時は加西郡)の南東部、鶉野台地にパイロットを養成するための「姫路海軍航空隊」が開隊されたことに始まります。翌年、川西航空機鶉野工場が併設され、姫路製作所で生産された局地戦闘機「紫電」「紫電改」が再組立されました。昭和20年には神風特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、沖縄戦のために出撃し、前途有望な若者が大空に散っていきました。終戦までのわずか2年に満たない時間の中で、青春をかけた多くの若者の姿があったのです。
戦後、地元の人々は総称して「鶉野飛行場」と呼んでおり、現在も長さ1200メートルの滑走路跡をはじめ防空壕、対空機銃座など数多くの戦争遺跡が残されている全国でも珍しい場所です。しかし、鶉野に関する資料は終戦直後、そのほとんどが焼却処分され、半世紀もの間、多くの人々の記憶から忘れ去られていました。私共は25年以上にわたり、航空隊をはじめ関係者への聞き取り調査や資料収集を地道に重ね、「鶉野飛行場」の全容が明らかになってきました。
戦後73年が過ぎ、当時の記憶は薄れつつあります。今に残る戦争遺跡群をめぐり、史実を学びながら、「平和」について考えてみましょう。
一般社団法人 鶉野平和祈念の碑苑保存会
「鶉野飛行場」という名称について
正式には、「姫路海軍航空隊」もしくは「姫路基地(姫路航空基地)」、「川西航空機株式会社姫路製作所鶉野工場」です。しかし、地元では「鶉野飛行場」という総称が広く浸透しているため、そのまま使用しています。
旧海軍や川西航空機(現在の新明和工業㈱)の資料・社史、当時の関係者が記憶されている名称(呼称)と異なる場合がありますが、ご理解ください。
ご注意
・当ホームページが、一般社団法人鶉野平和祈念の碑苑保存会と鶉野飛行場資料館の公式かつ唯一のホームページです。また、「うずらの飛行場未来プロジェクト」および「うずらの遺産ツーリズム推進協議会」は別の団体であり、関係ありません。
・昨今、保存会や資料館、上谷昭夫の関係者を名乗り、戦跡・遺跡・遺品に対する興味本位の行動をとる者がいます。旧日本海軍や「紫電」「紫電改」に関する各種グッズの出張販売や出店、資料館外での募金活動の類はおこなっていません。このような行為や記事をご覧になられた方は、弊会までご一報いただければ幸いです。よろしくお願い致します。